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タマラの日記

インディゴ世代より上のおばさんです。こんな年になって目が覚めるとは思ってもいませんでした。本当に生き方変えれるのかなあ?ウギャ―!

ゴースト・イン・ザ・シェル&ハイヤーセルフ

ゴースト・イン・ザ・シェル(カタカナ・笑)を観てきた。

ネタバレはあるようなないようななので観に行く予定の方は

ここでさようならです。

 

 

草薙素子、という人間のハイヤーセルフとそれが降りる脳とシェルが

統合(融合) して少佐が誕生したお話。(ざっくり主観)

 

リスペクトがあってハイヤーセルフとの繋がりが描けていれば

割とそれでいいと思うのだ。作品全体のバランスは良かったけど

目を奪われるほどにかっこいいシーンは押井版と同シーンに

任せてる感じであった。アクションよりも少佐がブルゾン姿で歩いたり、

そういうキャライメージ任せなところのほうがかっこよかったかなー。

 

自分が誰で、何をするために生まれて来たのか、という問に対し

正解かどうかではなく信頼できるようになったら、それまでの自分は

大げさかもしれないがやはり一度死んでいるんだと、

自分の視界に掛かっていたうすぼんやりした膜がはがれていくような気がした。

 

それを認識出来る何かは描かれていたように思う。

そして過去の記憶に頼るのではなく、どう在るかなんだと。

 

ここに残る、

というのも義体だろうが肉体だろうが地と繋がる重要な

人間感覚を現わしている気もする。自分も昨年あることを通して強く思った。

というか、なんだかデジャブのような感覚だった。それは置いとくとして。

 

 

一瞬でてきた日本人・素子は誰が演じていたんだろう(笑)

ビート荒巻がギリギリ呂律まわってるくらいの感じが何とも評し難い。

 

それにしてもSFはワンシーンあたりの情報量多いなあ。

派手につくってるような印象だけど個人的に心象に残っているのは

人間の雑多さとか儚さからくる物憂げな柔らかさ。

 

あーしまった! 吹替えで観るの忘れた!

重要ポイントだったのにー。うぎゃー!

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

本当にやりたいか

自分がいちばんつきつめたいものって

とてもとても個人的なもので、世界を持たせられるようなものではないと

そんなことを考える以前のことで、ただそれをやるだけで

自分が満足できるだけの純なものだった。

 

それって、とっくの昔に終わりの無い眠りについたものだと

思っていたけれど、自分の憧れの人の力をそこに加えたら

どうなるだろうと夢想したら思わぬ躍動を始めてしまい

ともかくそれを表に出そうと努力してみることにした。

 

と覚悟を決めてたった一日で手段のひとつである

パソコンがお釈迦になってしまった。

 

30分、1時間、時間をおいて立ち上げて見ても

しゅーん…となるPCさん。

 

新しく買うお金は手元にない。

 

じゃあ当初の企画とは別の方法はと考えた。

 

 

 

半日経過して、

もう一度だけと立ち上げてみたらPCが復活した。

 

壊れてしまったと思っていた数時間、

やりたいことを形が変わってもやりたいか見つめ直す時間になった。

 

そして他の形もあるという拡がりも得た。

 

PCさんありがとう。

 

 

昨年から今年にかけて

・心理セラピストとしての知識や想いへのブロックが外れた

・生きづらさの根源になっていたもののいくつかの正体へ触れることができた

・キャラクター絵へのこだわり

 

このあたりが浮上してた

 

古い世界に生きるのやめようって

何かそういう覚悟みたいなものを心から決めたのがほんの二日前

 

 

・本質へ還るための知識をセラピストではなくどう活かしたいか

・生きづらさだって楽しく共鳴できるもののひとつに成り得るのではないか

・キャラクター絵の躍動はなぜ生まれるのかどうしたいのか

 

といったものに変容、そして輪郭が現れてきている

まだこれからももにょもにょ形を変えるだろうか。

 

もしセラピストとしてやっていきたい、だけだったら

PC壊れたと思い込んでいた時間に私は何も考えなかったんじゃないかな。

 

 

もう一度言おう。PCさんありがとう。

私の周波数をよく読んでくれていますねえ^^;

これからもよろしく!

 

 

自分のエネルギーを世界に流すことで何かが動いていくこの感じおもしろいね。

こういうことって、きっついパターントラウマがあるうちは解らなかったろうと思うよ。

必死で何かやっても収縮感ではい終了~だったから。

私のそれって自分でも知らなかったカトリック系の

めちゃくちゃ古い深いものだったからさ。次元上昇の恩恵ですなー。

血は吐いたけど(笑)

 

 

お読みくださり、ありがとうございました。

 

 

世界の果て

■劇場版少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録(1999年)より

 

ラストシーンの台詞

 

必要なあなたに薔薇が届きますようにバラ 時を越えて。

下記添付の曲を聴きながら読むと必要な人には効果絶大

 

アニメーションは全てのリアリティラインが虚構だからこそ

覚醒の段階的な手助けになることがままある。

現実創造マスターたちの魂入ってるからね♪

 

 

 

アンシー:

お兄様。

 

暁生:

そうだよ、お前の王子様だ。

怖がらなくても大丈夫だ。

さぁ、僕と一緒に帰ろう。

生きながら死んでいられる、あの閉じた世界へ。

 

アンシー:

かわいそうに。

あなたはあの世界でしか、王子様でいられないのね。

でも、わたしは、ウテナは出るわ。外の世界へ。

 

暁生:

よせ。どうせお前たちが行き着くのは、世界の果てだ。

 

アンシー:

そうかもしれない。でも、自分たちの意志でそこに行けるんだわ。

……さようなら。わたしの王子様。

 

暁生:

そうか。残念だなぁ。

だが、お前たちには、やはりあの世界で、お姫様を続けてもらうよ?

なぁに、生きながら死んでいればいいだけのことさ。

 

アンシー:

世界を……!

 

ウテナ・アンシー:

革命する力を……!

 

ウテナ

ねぇ、これから僕たちの行くところは、道のない世界なんだ。

そこで、やっぱり僕たちは、ダメになるのかもしれないよ?

 

アンシー:

ウテナ、わたし、分かったの。

わたしたちは元々、外の世界で生まれたんだわ。

 

ウテナ

じゃあ、僕たちは、元いたふるさとへ帰るんだね。

……僕もわかったよ。どうして君が僕を求め、

僕が君を拒まなかったかが。

僕たちは、王子様を死なせた、共犯者だったんだね。

 

少女E:

そうよ? 外の世界に道は無いけど

 

少女F:

新しい道を作ることはできるのよね?

 

ウテナ

だから僕らは行かなくっちゃあ。

僕らが進めば、それだけ世界は広がる、きっと。

 

http://www.nicovideo.jp/watch/sm17040938

 

 

■テレビアニメ版本編(1997年)最終回より

 

主人公のウテナとアンシーは一人の少女が光と闇に別れることにより

互いの苦しみを感じないようにしていたものが

最後、統合され生きながら死んでいられる世界から出ていくって話

だったんですけど、今見るとハイヤーセルフと肉体、のようにも

見えるんですよね。

 

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あれからまだいくらも過ぎてないのに

みんな彼女のことはすっかり忘れているようだね
やはり彼女には革命は起こせなかった
消えてしまった彼女はこの世界ではただのおちこぼれだったんだ
薔薇の刻印の掟はいちからやり直しだ よろしく頼むよアンシー
 

あなたには何が起こったかも解らないんですね
もういいんです あなたはこの居心地のいい棺のなかで
いつまでも王子様ごっこしていてください
でも 私は行かなきゃ 
 

行く…? どこへ
 

あの人は消えてなんかいない
あなたの世界からいなくなっただけ

 

今度は私が行くから

どこにいても必ず見つけるから
待っててね ウテナ

 

ねぇ 困ったことがあったら何でも僕に相談してよ

僕は君と友だちになりたいんだ そして いつか一緒に…

 

いつか…一緒に?

 

     きらきらバラいつか一緒に輝いてバラきらきら


ラストの台詞(音霊言霊)含む

 

台詞無しハミングだけ

 

 

それはただ愛でしかないエネルギーをたくさんそそいで貰い
自分の胎内に宿った全てが豊かに叶う世界
そこに居るもう一人の自分を見つける旅
そこに生まれ直す物語

 

きらきらきらきらきらきら

 

少女革命ウテナ」と出会ってから20年。

この物語をご存知ない方も、そして男性にもお勧めです。

音楽は天井桟敷身毒丸j.a.シーザー氏で背景美術、演劇的演出、

脚本など前衛的に構築された世界観やアニメらしさとのマッチングが

心動かされる芸術…《感動》そのものでした。

 

お話は少女が革命し、革命される物語。

ちなみに監督は男性です。

 

さて、職場に電話します。←

(しました)

ふつーの勤務に戻ろうとして3日働いたんですけど

今そんなことしてる場合じゃないなって(笑)

私が生まれ直す世界に全力でエネルギーを投入しないとね。

 

 

最後までおつきあいくださり、ありがとうございました。

 

そうしろと囁くのよ

ハイヤーセルフとの繋がりの話

 

後に出てくる話題について。

普段聴こえないものが聴こえるなどの話に対して

私は 『特別なこと』 という認識で話していません。

自分にとって、とても楽しい話題のひとつであるだけなのです。

 

 

子供の頃から20歳くらいまでは、誰かの口を借りて

語りかけてくる体が多かったな。

ただ、敏感ゆえに深淵からの語りかけに対して

フリーズを起こすことが多く、とても仲が良かったとは言えない気がする。

というか、この身体のアンテナが変な受け取り方をしていたんだろうな。

 

私が20代後半あたり…まあ15年は前ですよ…

それまではハイヤーセルフって高次の「自己」という認識がまだあまり無かった気がする。

当時のスピ好きの知人に「ハイヤーセルフに会ったの?」と

尋ねられたのが印象的に記憶に残ってる。

 

会う…。

 

あの当時は催眠誘導などを通して会いに行くといった体が

知る限りではあったけど、「自己」とは到底理解出来なかった気がする。

頭で理解しようとおぼろげに形を持たせようとするから

余計謎めいていたんだろうなって。

 

今となってはなんだ自分だったのか(鼻ほじ)みたいになってますよ。

子供の頃にフリーズ起こしたのがきっかけでめちゃくちゃ

生きづらくなったんだぞ!(笑)

 

今はこうして(笑)をつけれるくらい伸び伸びハイヤーセルフのことを

語れるのが、なんというか、そうしようとしてそうなったわけではなく

次元上昇の恩恵なんだろうなーとしみじみ。

 

まあツイン関連での目と胸から血を流し続けるような

向き合いあっての今だけれど、それも次元上昇の恩恵だもんな。

 

うーん (´ω`;)

 

そういえばツイン関連で、

お相手からアプローチがあってから、握手して

I AM Presence が発現するまでの間はめちゃくちゃ

しっかりとしたガイダンスが聴こえていたなあ。(今は聴こえません)

聴こえるといっても音声ではなく、それでもしっかりと言葉で

どうすればいいか解るような実に的確なものでした。

「彼と仕事をしなさい」

「わたしの恋愛を信じなさい・はい信じます」←なぜかセットだったw

「この台詞を彼に使いなさい」←映画を観ていたら突然

「会いに行きなさい」

 

この肉体のアンテナはちょっと拗らせモードだから

この間だけはしっかりガイドしなくちゃー!って頑張ったのかな(笑)

わたしって言ってるから私なんだろうな?

 

恋愛を信じろってほのめかしてきたけど、ときめき~!と思ったら

天から地獄に突き落とされるような血へどまみれ浄化の連続でしたけどね。

ツイン体験がこれからの方で偶然ここ見ちゃった方は

この記事はツインの話というよりはハイヤーセルフ焦点の話ですので

ご自分に当てはめないようにしてくださいね。

 

 

で、最近はただやりたいと浮かんだことをあれこれ

考えず信じてそのまま実行って感じかな。

今さらこれをやるのか?といったものでもね。

その、浮かんだ…がハイヤーセルフで自分自身のナビ。

 

ただ、まだ私は迷っちゃうというか、どうしたらいいのーって

なるときがあって、そんなときにこちらから積極的にたずねてみてる。

 

昔は鮮やかな夢を毎日のように見ていて、ある日から

あまり見なくなった。内容を覚えなくなったのかな。

先日、急に昔に見ていたような鮮やかさで連日続けて夢を見たけど

夢ってシンボリックなだけに何を伝えたいか解りやすいときと

解りにくいときがあるよね。

 

だから、解りにくいから違う形にしてくれってお願いしたら

レム睡眠からノンレム睡眠に移行したときあたりなのかな?

《これについて》って感じでなんとなく議題(笑)が解って、答えになる

言葉を実際に発声しながら目が覚めるというのを編み出したみたいだ(笑)(笑)(笑)

電車のなかで寝ないようにしないと変な人だ(笑)

 

 

ハイヤーセルフ(高次の自己であり自分自身)のナビって

直感とか、誰かの口を借りての語りかけとか、映像や物語、

本のなかの一文に響きを感じたりとか、夢とか、歌詞とか

カードリーディングなどが得意な人はそういうものや

人によっては幼い頃からずっと解りやすく

言葉でナビしてもらえる人もいるのかもしれないし、

 

浦沢直樹先生の漫勉で

イデアをうんうん唸っていいのが出てくるときって、一瞬寝て

起きたときってお話があった気がするけど、ああいうのもそうだよね。

クオリティを目指す描画の作業自体もそうだと思う。

 

その方法に対してどれが特別でどれが特別じゃないなんて

区別の発想が無かったけど、そう感じる方もいて当然だな、

なんてことも思ったりしたので人目につく場ではちゃんと注意書きしよう。

 

どんな方法もそれぞれが描いてきた大切な地図のナビだから

特別なんだよーきらきらきらきらきらきら

 

生きづらい子たちが誰もが簡単に使えるハイヤーナビとか開発できないかなあ。

 

 

そうそう、タイトル。

「そうしろと囁くのよ、わたしのゴーストが」

攻殻機動隊S.A.C.】から少佐こと草薙素子の名言です。

 

私たちの視野が拡大していっている今だからこそ

作品の真実に対し、観えるものが多くなっているだろうな。

 

それは時代がやっと作品に追いついた、ということなのでしょうか。

 

Ghost in THE shell】ハリウッド版は4/7から公開。

 

 

最後までお読み下さり、ありがとうございました。

 

 

 

扉が開いてきたなあ

今期見たドラマの主観を交えて語るいまの自分。

 

覚醒とは進化(深化)しつづけること。

ということが目と耳に障害がある少女・海を通してどんな大人も愛らしさ溢れる人間であるという観点から描かれた「奇跡の人」(岡田惠和オリジナル脚本)は実際に《覚醒》という言葉も極さり気なく盛り込まれていて、見事すぎた。もう一本、「真昼の悪魔」(原作/遠藤周作)は迷える子羊の観点から描かれてあり一見、深夜の陳腐系のようでいて、意外にも心に残った。

 

主人公の葉子は罪悪感を感じてみたくて病院というステージで罪に手を染めつづけている人間で自分を悪魔だとしている。奇跡~の登場人物たちも要は迷える子羊であるけれど出口はあるのだ、といった爽やかさがある。

葉子の場合は罪悪感とは?という迷うための迷路の入口が最初から閉ざされている。罪悪感のなかで迷うのではないのだ。さ迷っているという意味では迷路のなかなんだけど、己が持つ問いの扉を叩いて叩いて、入ったと思ってもその向こうに何も無く、また裏側から扉を開けてくぐっての繰り返しといった虚無感。

 

これは目と耳に障害を持って生まれた海と似て全く異なると思った。

認識しようにも出来なかった扉があることに気づき、やっとやっと開けた先に感じられる全てが拡大していく感覚。実際にあった演出で正面から吹いてくる風を受けて踊りだしていくように走り出すのが印象的だ。

 

両者(ドラマ・人物)の間には無限拡大と無限ループの違いがある。

原作となるものが描かれた時代が反映されているのだろう。

 

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本当に覚醒し 歩き出そうとするとき

そこは覚醒した世界なのだから見たことがないはずだ

見えないままに扉を開けるのに時間もかかっただろう

なぜなら 扉 そのものが見えていなかったのだから

だがひとたび扉の存在に気づき 開こうとし 半歩でも前進して

その全ての計らいの風を全身全霊で感じたら

ある欲求の光を自らの内に感じずにはいられないだろう

人 それを 創造 という

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本当に○○ならば○○のはずだ

とのフレーズを複数人の方が書かれているのを一度期に見かけて

問題意識に上がってきたので、ありがた~く向きあったときのポエムw

 

 

大好きな友だちがいても、職場でちゃんと可愛がってくれる人がいても、いろんなことを楽しんできた自覚があっても、何かを広げたいとするときに会っても会っても出会っている感じがしない、やってもやっても開かれていく感じがしないという虚無感を長く抱えていた自分にとって、葉子の虚無感は自分のフィールド内に置き換えはするが解る気がする。

 

そして海が扉を開いて走りだす感覚も。

それはつい最近のことではあるけれど。

インディゴチルドレンと呼ばれる世代よりいくつか上にはみ出している自分が、今更目が覚めるとは思ってもいなかったけれど。

 

思えば、この長い虚無感は 「全ての計らい」を知らぬがゆえの絶対的信頼感の完全に反対側だったと思う。

 

しばらくのあいだ静かに充ちてくる至福を感じていたが、今はもう叫びだしそうなくらい「それ」で爆発しそうなんである。

 

そこに多くの人・生けるもの・生み出されたもの・現象が関わってくれていた・いるであろうことが幸せでたまらない。

 

そしてこういったことを書いている今も楽しくてしようがない。

 

 

ウギャ―――――――――――――――――――!!!!(叫んだ)

 

 

とはいえまだまだ何も変わったようには見えない日常でした。

 

ふぁー デ、デビルマン?!

ネトフリでデビルマンがアニメ化?!

 

しかも原作の最後までちゃんと描くだと?

 

本当にそのまんま描いてよね。

作画と映像の表現のみに気を配ってほしい。

 

私は20年以上まえになる女子高生のときに原作を読んで

衝撃を受けた人で、同じ時期に出たOVAが今思えばまだ良作だったんじゃと

思うんですよね。作画監督小松原一男さんですし。

ただあのときのシリーズは妖鳥死麗濡編までしか作られてないんですよね。

 

まあ豪ちゃんセンセも懐が深いというか

傑作にチャレンジさせてもらえるって素晴らしいですよね。

 

なんだかんだいって楽しみです。

 

 

命を動かしたその先に

行動 がわからなくなっていた

何を行動したらいいの?


行動というよりは ただ身体を動かすほかなく
散歩ではたまにしか行かない自然公園へ出向いた
落ち着けて日光が広く当たる場所を探した

5頭ほどの少数の鹿の群れが 朝の陽の光で身体を温めていた


そこへ近づいて 彼らを少し眺めていた
するとまだ成熟しきっていない風な けれども
人を怖がる時期は過ぎているであろう
若い鹿が一頭 スー…と離れていった


私はしばらくその場所に居たがその場所が見える
反対側のベンチへ移動した

ベンチに腰かけ 目を瞑って腹式呼吸をする


ふいに出勤途中のサラリーマンが背後を過ぎゆく
見られてもいないであろう人目を気にして集中できない
場所を変えようと立ち上がり 歩きだすと


大きな公園と公園の間の ひっきりなしに車が行き交う車道のなか
女性が一人で鹿を路肩に引きずって来ているのが見えた

 

警察か専門のどこかに連絡したほうが良さそうだと思い
近づいていくと彼女からも呼びかけてきた


「すみません! 電話してもらってもいいですか!」

「もちろんです」


鹿の後ろ足は折れて骨が丸ごと肉から出てしまっていた
見た瞬間 自分の命がぶるっと震えたのがわかった


誰かがこの鹿を車ではねてそのままにした
ドライバー達はそれぞれに 鹿を避けながら通り過ぎ行き交っていた
この女性は車を止めて 道路の真ん中あたりに倒れていた鹿を
路肩へ寄せてやっていたのだった


(急がなきゃ まだ動いてる)
(専門のどっかなんてわからない とりあえず警察だ)


鹿がびくっと全身を大きくわななかせて ひきつけを起こした


GPSがあるのでだいたいの場所は伝わっているが
居場所を詳細に確認されると少し混乱した
彼女が説明を替わってくれた
警察は愛護協会への連絡のあとかけつけてくれるということだった

彼女は家族を送った帰りで その際はいつもスマートホンを
携帯していないらしく今日も持っていなかった
そこに私が通りがかったのだ


「もう死んでんのか?」 

近くの人らしいおじさんが自転車で通りかかった

 

「警察に連絡しました」
「警察になんか連絡しても何もしてくれへん」

 

言い方はいやだったが 彼は鹿愛護協会に
連絡してくれた後 知らない間に去っていた

ほどなくして愛護協会の軽トラが 続いてパトカーが到着し
状況を少し説明して鹿がトラックで運ばれていくのを見送った

 


ひきつけを起こしたあとの鹿をじっと見ていた
命が身体から抜けていっているのがなんとなくわかった
だけど実際にいつ亡くなったかが判ったわけではない

 

ただ もう生きていない という状態になって初めて
そうなんだとわかっただけだった

手を合わせながらその瞬間にいさせてもらった


鹿を助けようとした彼女の行動を労いたくて背中を少しさすった
そして言葉をかけてその場を解散した

 

私はそれまでとはまた別の 少し離れたところに移動して
ベンチに腰かけ目を瞑って腹式呼吸を始めた
周りには日向ぼっこをしている鹿が沢山いる 大きい群れだ


ふと目を開けると群れの真ん中あたりにいた
一羽の鳩が飛び立っただけで鹿たちは驚いて
みんな揃って身体をぴょーんと躍動させた
つい笑いがこぼれた

 

そして想いが去来してくる


私だったらスマホがない…連絡出来ないし…と
とっさに思考を巡らせているあいだに
鹿を避けてきっと行き過ぎていただろう

助けたい純粋な想いを無視しかねない癖


あのあとすぐ自分の命がなくなったとしたら
最後に彼女みたいな人に会えたことを嬉しく思うだろう


そもそも 行動 は命がないと出来ないんだ

 

何をあたりまえのことをと思われそうだが
今日動いてくれた命がなければ私は思い知らなかったろう
これまで身近な命にお別れしたことは何度もあったけれど
今このようなときに体験したからこそ何かを思い知ったのだと思う


全てはうまくいっていることをもっともっと
その身体で気づいて体験してこい!


そう言われたようだった


鹿が車にはねられたこと その車がそのまま行ってしまったことを
うまくいっていると言いたいのでは決してない
けれどそう動いていなければ私は今日のことを得なかった

今日の命の動きから感じ得たことをこれっぽっちも零したくない
それを自分なりに文章にまとめたかった
まさにここまで書いてようやく腑に落ちた

そうか これが行動するということか


最初に書いたスーッ…と離れて行った若い鹿が
亡くなった子かどうか判るはずもない
確かにあちらの方向に歩いて行ったけれども
体躯が似ている時期の子どころか鹿が沢山いるところだ


あの鹿が離れていくときに何となく不思議な感じがしたことに
意味づけしたいだけなのかもしれないが

それでも こう漕ぎつけたい

もしあの子だったなら あの若い鹿の生きている時を
私は目のまえで見たんだ


生きて 動いて 群れから離れ 行動して 何かをしたかったんだ

 

 

 

人でも動物でも事故を起こしたらドライバーは絶対
車を止めてほしいと強く思う。

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。